三浦弘人さんのプロフィール
1966年東京都生まれ。都内のカツラメーカーに就職後、転勤で沖縄に赴任。沖縄の女性と結婚したのを機に、地元のハウスメーカーに転職し、空室を出さない賃貸経営術を習得する。2004年からアパート経営を始め、45才でセミリタイア。家賃収入は約6,500万円。著書に「満室の3倍儲かる非常識な投資法―――手取り1,800万円らくらく稼ぐ合法的裏ワザ」(ダイヤモンド)がある。
■ 1棟目の融資を受けるために、土地を買い「地主」になる
――手取り年収1,200万円以上を得るという目標に向けて、どんな物件を建てたのでしょう?
三浦弘人さん
最初に計画したのは、1億5,000万~2億5,000万円くらいの予算で、那覇市内の100坪~150坪の土地に、1K×30戸前後のマンションを建てるというプランです。自分でプランニングも収支計算もできるので、うまく経営する自信はありました。
ところが、金額が大きかったのと、土地から買って新築という前例が他にないという理由から、銀行がNGを出したんです。「収支が合うわけがない」という担当者に対し、収支計算を全部見せて、家賃保証も付く安全な事業と説明したのですが、「そんな数字は将来にわたって信用できる根拠はない」と付き返されました。
それで、方向転換をして賃貸需要の高い郊外に自己資金で購入できる大きさの土地を現金で買い、建物分だけを借りることにしました。建てたのは、自分が勤務していたハウスメーカーのマンションです。現金で土地を買うために、場所は名護市に変更しました。
――土地を買って、銀行の対応は変わりましたか?
三浦弘人さん
はい(笑)。110坪の土地を1,000万円で現金購入し、地主として銀行に行くと、すぐに話が進みました。最終的には1LDK×9戸で約5,800万円という事業計画が通り、頭金500万円を入れて、残りを借りました。
返済比率は45%で、税金などを差し引いても年間180万円以上が残ります。自分では成功したと確信し、次の物件もすぐにほしくなりました。
■ 福岡の建売アパートで失敗し、「地元」「人任せにしない」ことを決意
――2棟目はどんな物件なのでしょう。
三浦弘人さん
1棟目とは違うことをしてみたいと思い、福岡の新築木造アパートを2棟まとめて買いました。価格は3,600万円と6,100万円です。ところが、埋まってもすぐに出て行ってしまうんですよ。
広告料を払い、フリーレントもつけていたので、お金が残らず、こちらは短期間で売却することに。この経験で、自分の中に「賃貸経営は、なじみのない土地で人任せにしてやるものではない」という結論が出ましたね。
――なるほど。説得力がありますね。
三浦弘人さん
その後で建てた沖縄の2棟目は、自社ではなく地元の建設会社にお願いしました。理由はコスト面と、自分が理想とするアパートを作りたかったから。このマンションは、1Fのバルコニーを1.5m高く作って、通りを歩く人と目線が合わないようにしたところ、好評でした。
それ以外にも、玄関を入ってからリビングに入る前に扉をつけたり、トイレとリビングの位置を離したり、キッチンからべランダへ出られる扉をつけてゴミを置けるようにしたり、足元収納タイプのシステムキッチンを入れたりと、小さな工夫を多く取り入れました。
――本業での経験が生きていますね。
三浦弘人さん
建物を見るのが好きなので、他社のアパートや、分譲マンションなどを見学に行って、いいところをたくさんマネさせてもらいました(笑)。自社の物件がライバルになるので、差別化を図るために、新しい部材も色々と試しました。その物件も一棟目と同じく、すぐに埋まりました。
■ 絶対に欲しい! 銀行の本部長に直談判した一等地の土地
――それで、3棟目に進んだのですね。
三浦弘人さん
はい。でも、3棟目は4棟目を建てる際、自己資金が必要になり、売却してしまったんです。この4棟目は、私の自信作。東京でいえば代官山のような那覇の一等地に、土地から買って1K×15戸+店舗2戸のRC4階建てのマンションを建てました。利回りは11.3%あります。
一等地でこの利回りが出せたのは、いつも空き地を売地に見立てて仮のプランを入れて、どうすれば最高の利回りを出せるか、日々、シミュレーションを続けてきた成果だと思います。この物件は土地だけで7,800万円。新聞広告で見つけて速攻で買付を入れたんですが、なかなか融資がつかなかったので、3棟目を売って自己資金を増やしたんです。
――3棟目を売った後、融資はついたんですか?
三浦弘人さん
いいえ。支店の担当者にはNGを出されました。でも、あきらめられなくて、知人から本店の本部長を紹介してもらい5分間だけ時間をもらい、直談判しました。3棟目の売買契約書と残高のわかる返済予定表を持っていき、通帳の残高明細を加算して自己資金が更に用意できる事、その土地の写真を見せて、超一等地での賃貸経営をどうしても手に入れたいということを簡潔に伝えました。
それ以外にも、仕事柄、アパート経営の怖さは知っていて決して甘い事業計画を立ててはいないこと。これまでの借金はすべて元金均等払いを選び、堅実に経営してきたことなどもアピールしました。その結果、本部長はその場で内諾をくれて、あとはトップダウン。本店の営業部長が私の窓口の支店長に電話をしてくれて、融資が決まったんです。
この4棟目が満室になり、家賃年収が約4,000万円、手残りが1,300万~1,400万円になったところで、会社を辞めました。4棟目の実績が評価され、リタイア後も融資を受けて2棟のマンションを建てています。2014年から、マンスリーマンションの経営の割合も増やしました。こちらも好調で、1Kで月に10万~15万円の売上があります。
■ 妻に「おめでとう」と言われた45才でのセミリタイア
――会社を辞めてからもお忙しそうですね。リタイアを果たしたときの気持ちを教えてください。
三浦弘人さん
嬉しかったです。妻は「おめでとう」と言ってお祝いをしてくれました。子供が2人いますし、不安もあると思うのですが、「心配性のあなたが辞めると決めたんだから、大丈夫なんでしょう」と受け入れてくれました。
辞めてからは、国内外の不動産イベントに参加しようと決めて、すぐに有名大家さんが主催していたマレーシア・シンガポールの海外物件視察に参加。経済的に余裕のある方が多くて、人間観察という意味でもとても面白かったです。各地の賃貸住宅フェアーなどにも出かけるようになりました。お目当ての大家さんの話を聞くのが面白いですね。
あと、スポーツクラブでトレーナーの先生に運動や食事について指導してもらったところ、約9カ月で16.5キロも体重が減りました。肝機能障害や脂肪肝も治ったんです。会社員時代はストレスもあって、ついお酒の量が増えていたんですよね。
――これから不動産投資を始める方へのアドバイスをお願いします。
三浦弘人さん
自己資金ゼロでもできると思っていて、本当に100万円くらいしか貯金がないという人から相談を受けることがあります。アパート経営を始めると修繕費用などの突発的な出費もありますし、手持ち資金ナシで始めるのは、リスクが相当高いといえます。
本にはいいことばかり書いてありますが、それよりも、アパート経営の厳しい面を勉強することが大事。その上で成功するには、建物に愛着を持つことが大切ではないでしょうか。私は入居者さんに喜んでもらえる対価として家賃があると思っているので、最低でも週に1回のゴミ拾いや掃除を続けています。
――これからの目標を教えてください。
三浦弘人さん
豊かさは一人では味わえないので、同じ価値観を持つ仲間を増やして、その方たちと切磋琢磨しながら、人生を楽しみたいです。それと、健康を大切にしたい。健康でいれば家族に迷惑をかけることもないし、人に元気を与えることもできますからね。
前編:第19回 沖縄で新築6棟と軍用地に投資して45才でセミリタイアした三浦弘人さん【前編】
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