前回に続いて和歌山県紀伊田辺である。仕事の出張を兼ねて南紀を訪れ、熊野大社まで足を延ばした。大社から延々2時間バスに揺られ紀伊田辺に着いたのは夕刻だった。麦酒でも飲もうと駅近の酒場集積地「味光路(親富孝通り)」を歩いたが、日曜のためか目ぼしい店が開いておらず、海岸方面へ少し歩いたところに地味な構えの「あじみ」を見つけ直感を信じ入った。まだ明るかったが、常連であろうシニア3人が幸せそうに杯を傾けている。カウンター席奥に座ると実に居心地がいい。店主に訊けば創業して37年という。「お客さんは東京かい。ここに来たら絶対に食べていってほしい」と薦められたのが、「夕方かつお」という、釣れたての死後硬直前の鰹刺し。かつてない絶品、「かつおの概念を覆す」と言ったら大袈裟だろうか。かつおの臭みが全くなく、身はモチモチで生姜より山葵が合う。夕方釣って夜に出すから「夕方かつお」、新鮮さが勝負で、釣った地元でしか食べられないという。
酒はビール・日本酒・ワイン・ウイスキーなど一通りそろえているが、日本酒は地元和歌山尾崎酒造「太平洋」。因みに和歌山県には太平洋の他、紀土・黒牛・龍神丸・車坂・長久・南方・雑賀・喜楽里・紀伊国屋文左衛門など美味い日本酒が多い。さすが徳川御三家である。
白板に汚い字で書かれた「今日のおすすめ」には、まずは夕方かつお、本まぐろ、赤貝、しまあじ、生牡蠣、まぐろ頭肉、ひらめ、シメ鯖、甘烏賊、ハモ梅肉、馬刺し、生ダコと豊富だ。気の良い店主と話が弾み、「サービス」で鰹のハラを焼いてくれた。おでんも美味い。紀伊田辺は人口の割に酒場の数が多く競争が激しいと言う。首都圏から離れ、その土地の恵みをいただき、土地の話を聞く。なんとも幸せな気分だ。 (似内志朗)