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彼方の空 住宅評論家 本多信博 ◇137 〝ひと部屋〟だけ断熱 高齢化や所得格差で 福祉と住宅政策融合

 「食は理屈ではない。人間の存在そのものである。そして、その民族の文化である」――これは新宿の老舗居酒屋「樽一」に掲げられている標語だが、「食」を「住」に差し替えると、住まいについてのかなり高度な見識となる。

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 住居が人間にとっていかに大切であるかを訴え続けたのが日本居住福祉学会初代会長を務めた故早川和男氏である。氏は「空間価値の研究」をそのライフワークとした。住居にとどまらず居住地(地域)、村、町、国土に至るすべての空間が人間の生存と生活の質を規定し、生命の安全、健康、豊かさ、文化に影響することを示そうとした。

 しかし、日本人は自分の住まいについてすら、それが自らの健康、意欲、幸福度、安寧にどのような影響をもたらしているかということにほとんど関心を示さない。早川氏も著書『居住福祉』でこう述べている。

 「わたしたち日本人と日本社会は住居の大切さについて、これまであまり深く考えてこなかった。その重要性が社会の高齢化や阪神・淡路大震災など様々なかたちであらわになっている現在でもなお認識をもちえないでいる。そのようなことでは、これからの日本社会は支えられなくなるだろう。住まいの充実こそ二十一世紀の日本社会の中心課題の一つと考えるべきである」

 一般財団法人ひと・住文化研究所も健康で幸せな暮らしと住まいとの関係を探求している。代表理事の鈴木静雄氏はこう語る。

 「住まいの乱れは家族の乱れ、家族の乱れが国を滅ぼす。今の社会は原因の分からないアトピーや子供の心の病、離婚の増加、孤独死など問題が山積している。しかし、住宅・不動産業はその多くを解決することができる。企業を社会課題解決のための運動体と捉えるなら、住宅・不動産業界はこれからが本当の出番となる」

 とはいえ、人口減少や少子高齢化で不動産業界がマーケットの縮小を余儀なくされているのも事実。だから大手や中堅各社は今、ITやDXで営業効率や生産性を上げることに力を注ぎ、富裕層にターゲットを絞ることで商品単価を上げ、更には海外市場に販路を広げるなどの戦略を進めている。

 しかし、鈴木氏は「それは住宅需要を量的にしか見ていないからだ。戦後、思想なく突き進んできたこれまでの姿勢を改め、子供の心や夫婦関係、人間そのものに目を向けた産業に生まれ変わればマーケットは無限に広がっていく」と主張する。

 筆者も不動産業は土地や建物を扱う産業ではなく、それを利用する個人の想いに寄り添う〝人間産業〟であるべきだと思う。だからこそ人間への深い洞察が責務であり、人間同士が寄り添う地域や町に貢献できるこの世で最も尊い産業となる。命を守る

 一般社団法人健康・省エネ住宅を推進する国民会議(上原裕之理事長)は今、国土交通省、厚生労働省、環境省の三省が協賛する「いのちを守る ひと部屋断熱改修」運動に力を注ぐ(住宅新報5月23日号11面参照)。

 日本は冬に風呂場などのヒートショックで年間1万人以上が死亡していて交通事故死よりも多い。日本の住宅の断熱性能がいかに低いかを示している。そこで、せめて一部屋だけでも断熱改修し高齢者など家族の命を守ろうというもの。当然、ZEH住宅や全面断熱改修よりもかなり低い費用で実施できる。

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 とはいえホームレスや住宅弱者、貧困層を対象にした施策とは言えない。持ち家世帯ではあるが年金暮らしのため改修費用に余裕のない世帯などが対象だ。その意味で福祉政策と一般の住宅政策との中間に位置付けることができる。超高齢社会と所得格差を背景に、我が国の住宅政策は今後、福祉的要素を強めていくことになるだろうが、「ひと部屋断熱」運動がその先駆けとなる。