【特集】現地ルポ・その後の神戸(最終回)
<新旧住民で新しいコミュニティ>
全壊棟数一万三千六百八十七棟、半壊棟数五千五百三十八棟と、全棟数の約半分が被害を受けたのが東灘区だ。このため、死者の数も神戸市全体の約三分の一を占めた。その被害は、JR東海道線の南側、なかでも阪神電鉄の沿線に集中した。高速道路が倒壊したのも、この辺りだ。
まる六年経った被災地を訪ねた。JR住吉駅に近い東灘区総合庁舎から住吉川の清流の道を南に向かって歩いた。石垣が崩れたり緩んだ住吉川は、復旧工事が完成、市民の憩いの場に生まれ変わっている。緑が濃い、閑静な一戸建て中心の住宅地は、地震の爪あとがほとんど感じられないほどで、のどかな高級住宅地といった雰囲気が漂う。
雰囲気が一変したのは、阪神魚崎駅を越えてからだ。この辺りは酒蔵の道として知られているように、灘の酒の本場で、いくつもの酒蔵が点在する街だが、今はマンション銀座とでも呼べそうだ。販売中を知らせるノボリが、あちらこちらではためいており、建築中の現場も多い。そのうえ、今年も約千戸が計画されているという。
マンションが建設される土地の大半は、酒蔵の跡地だ。広大な敷地をもつ酒蔵も当然、古い建物が多かっただけに地震の被害は大きかった。そのほとんどが倒壊してしまった。再建は早かったが、新らしい酒蔵は高層化されたため、空いた土地が絶好の住宅地に変わったのだという。
こうしたマンションへの入居者は比較的若い人が多いため、旧住民との間でコミュニケーションがとれるかという心配もされたが、まったく問題はなかった。自治会主催の各種イベントにも積極的に参加する人が多く、そうした交流の中から新しいコミュニティーができあがった。
(終)










