日本を代表する作庭家として小堀遠州と共に尊称されるのが夢窓国師です。夢窓国師は鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけて活躍した臨済宗の禅僧で、建治元(1275)年に現在の三重県(伊勢国)で生まれました。幼少時に出家し、後に母方一族の争いに巻き込まれ、甲斐国(山梨県)に移住しました。弘安6(1283)年に甲斐市河荘内の天台宗寺院平塩寺に入門し、真言宗や天台宗などを学び、正応5(1292)年に奈良の東大寺で、戒名を受け取る「受戒」をしています。
その後、京都建仁寺の無隠円範に禅宗を学び、無隠からは弟子としての名前を授けられましたが、これを「疎石」に改名し、さらに「夢窓疎石」と自称しました。上洛してからは、後醍醐天皇の寵愛を受け、国師号を下賜されました。国師号とは朝廷から禅宗・律宗・浄土宗の高僧に贈られた称号で、仏教の師として尊敬すべき有徳の僧に贈られ、生前に賜わる特賜(とくし)と死後の勅謚(ちょくし)があります。国師号の勅書は黄紙を用い、天皇の直筆です。夢窓国師は、入滅後(死亡後)も含めると計7回も国師号を授与されました。
夢窓国師は純粋な禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷的な禅宗を試みました。このため臨済禅の主流派にはなれなかったものの、公家から武家、庶民まで幅広い層からの支持を受けました。
























