江戸や大阪、尾張など多くの歴史的な都市は大きな湾に望み、河川などの水運に恵まれています。例えば徳川家康が江戸幕府を構想したのは、莫大に使用される木材供給の可能性を確信したからだとされます。その確信は関ヶ原の合戦で豊臣に勝利し、豊臣家が領有していた木曽を蔵入地(くらいりち)として、自らの領地に組み入れたことに基づいています。木曽の山奥から木曽川を利用して、大量のヒノキ材を名古屋まで運び、名古屋からは海上交通を使って江戸まで輸送できるからです。
尾張藩が伐採を禁止
木曽といえば銘木として誉高いのは「木曽五木」ですが、これは濫伐を禁じた尾張藩の功績です。木曽の木材は良質で築城や寺社建築、造船などに利用され、木曽谷の森林は大量に伐採され続けたため、木材資源が枯渇の危機に瀕します。尾張藩は森林保護政策として「停止木制度(ちょうじぼくせいど)」を設け、ヒノキ、サワラ、アスナロ、ネズコ、コウヤマキの伐採を禁止しました。
























