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スタンダード会員限定一般財団法人日本不動産研究所(39) 地域資源を生かす ~まちづくりからインバウンドまで 鹿児島 窯元巡りの街 世界で名声を高めた薩摩焼 市中心部からのアクセスが課題

総合
  • 体験交流センターの美山陶遊館

    1 / 3体験交流センターの美山陶遊館

 鹿児島県の伝統的な工芸品の1つである薩摩焼の現在も残る系統は苗代川系、龍門司系、竪野系の3系統で、代表的な産地は苗代川系を生産する美山である。苗代川とは美山の旧地名で、美山は鹿児島市中心部から北西方約22キロほどに位置する日置市東市来町美山に所在する。現在、11の窯元、体験交流センター「美山陶遊館」が点在し、また、近年はギター、ガラス工芸、木工の工房も立地するようになり、周辺の豊かな自然を背景にした風情のあるカフェや食堂も営業をしている。

幕末に初の磁器窯 美山の歴史は400年以上溯る。豊臣秀吉の朝鮮出兵に従軍した島津義弘公は、1597年の南原の戦いで捕虜とした陶工を日本に連れ帰った。連行された朝鮮人陶工のうち薩摩半島西岸の串木野に着船した人々は苗代川に移り住んだ。薩摩藩は、保護と統制の表裏一体の政策を進めた。苗代川においては、江戸時代を通じて朝鮮名を名乗り、朝鮮の風俗が保たれ、朝鮮語も保存され、住民は朝鮮通詞の役割も果たした。薩摩藩は、陶工達に御用品である白薩摩を製造させ、専売する一方、村の指導者には郷士の身分を与え、また、陶工達に扶持米を与えるなどの待遇をした。連行されて来た陶工達の故郷を思う気持ちを推し量ることはできないが、村内に建立した玉山宮(現玉山神社)で朝鮮式の祭礼により望郷の念を慰めたことだろう。

 幕末期には、大河ドラマ「西郷どん」にも登場した調所広郷が殖産政策の一環として初の磁器窯である南京皿山窯新造を支援するなど、住民の生活改善と生産増加を図った。調所とその配下に感謝した苗代川の陶工達が建てた招魂墓が現在も残っており、筆者訪問時に地域の方が丁寧に掃除をされていたのが印象的だ。幕末期から明治にかけて、薩摩焼が輸出されるなど世界に向けて発信されるに伴い、彩色豊かで図柄の緻密な作品が多く作られるようになった。特に苗代川では幕末から明治期に名工第12代沈壽官を輩出し、明治6年のウィーン万国博覧会への出品、島津忠義公からロシアのニコライ二世に送られた壺を製造するなど、薩摩焼の名声を高めた。

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