幸福論的 『住宅論』 住宅評論家 本多 信博 ◇46 幸せの正体 人としてあることへの感傷
住宅新報 2019年6月4日 号 11面
連載: 幸福論的「住宅論」

自分は何者か、と問い続けることで、人としてあることへの喜び、せつなさを感じることができる
この世の中に大きな幸福というものはない。なぜなら、幸福は量的なものではないから。お金をたくさん持っているとか大きな事業に成功したとかそういう類のものではない。したがって小さな幸福というものもないが、あえて例えれば幸福とは葡萄の種のようなものではないだろうか。
種を舌で探って口からつまみ出したとき、それまで含んでいた葡萄の甘さや、すっぱさや、渋みの本当の味わいが伝わってきて、ちょっぴりせつなくなる。幸せとはそうした、ある種の感傷だと思う。自分らしく生きる
幸福は人が人のためにつくったり、与えたりするものではない。自らがその感性で日常の中に感じ取るのである。自分がヒト科の一固体としてこの世に存在していることにしっかりと気付けば、人はそれだけで十分に幸福なのだ。あとは個体差を意識する。人は人と違うからこそ価値があり、人生を楽しむことができる。自分らしく生きることの中にこそ幸福はある。























